2012年3月22日木曜日

【書籍】社会システム理論(井庭崇)・序章まで

井庭崇さんと、社会学者の方々の対談本である「社会システム理論」を読み進めています。この書籍の編著者である井庭崇さんが専門に扱っていらっしゃるニコラス・ルーマンの社会システム理論を中心に、いくつかの社会システム理論をもとに社会をとらえる事を目的として書かれている、ということだそうです。

ルーマンの「社会システム理論」は、SFC時代に当の井庭崇さんの授業でであったのがきっかけで、この社会システム理論に関しては、佐藤勉監訳の上巻のみを読んだだけでした。つい先日Ustreamで当書籍が紹介されてたのをきっかけとして、再び「社会システム理論」の門戸とたたくという事になりました。当時読んだルーマンの「社会システム理論」は言葉の扱いがたいそう難しく、混乱しながらじっくり読んでいったのを覚えていますが、結局わからずじまいだと言うのが本音でした。

今回この書籍を手にとり読み進めている所ですが、なんとなく理論についてつかめてきている気がする部分や、それに対して思う事が出始めました。章を段階的に読み進めると、時代的な広がりをみせるのではないか、ということでしたので、その広がりを考慮しつつも、今、思った事を忘れないように少しずつではありますが書き留めておきたいと思います。

今回は、この書籍の中の、序章についてです。この章は、ルーマンの社会システム理論についての概説が書かれています。まずは読み進めていく間にメモをとった言葉を箇条書きにし、そこから順を追ってこのルーマンの社会学について思う所を述べていきたいと思います。あくまで、ルーマン自身の著書を読んでの感想ではないということを前提に考えていただきたいと思います。

■社会システム理論(ニコラス・ルーマン)について
  1. 仮定的な並列性を基盤とした分析手法
  2. 卵が先か、鶏が先か
  3. 進化について考える
  4. フレームワークで大切な事
以上の順番に考えを書き留めていきたいと思います。

1.仮定的な独立性を基盤とした分析手法

これはルーマンの社会学の理論はこんなものじゃないか、という事を乱暴に一言でまとめたものです。これを少し詳しく言い換えると、社会の各々の仕組み(法律、経済など)に関して、コミュニケーションという人を介在させない「変数」によって分析することによって、各仕組みが独立性を保ちながら連鎖をしていると仮定する事ができ、そこで散見される差異によって社会の特徴を理解する事ができるという事。ここで言うところのコミュニケーション(偶発的であり、本来ならばつながらないように見えるもの)を、連鎖させている要素を分析していく、という所から社会をとらえていくフレームワークである。ということです。
ここで重要になってくるのは「独立性」「偶然性」「連続性」であると読み取りました。「独立性」は分析する対象そのものであり、そして「偶発性」と「連続性」はこの理論の分析自体の分析する要素である。ただ、この「独立性」と「連続性」から、ある一つの疑問が浮かびました。それが次にあげたキーワードにあたるものです。

2.卵が先か鶏が先か

因果性のジレンマと言うそうですが、よく聞く言葉ではあるとおもいます。詳しくはこちら(wikipedia)。連続性について語られる時の多くは、どこから始まったのか?という話に行き着く事も多いような気がします。もし「独立性」と「連続性」の両方を仮定するのであれば、当然この話題は出ないわけにはいかないのではないか、と思いました。「独立性」つまり、「経済」と「宗教」と「芸術」とそもそもそれぞれをある対象を分類し分析する時に、その対象ってどう決めるのか、というところに疑問がわきます。「経済」といわれると何となくわかるような気もしますが、それがはっきりしているかというとあまり自信が持てません。そもそも社会の複雑さや、分析の必要性とは、その曖昧さからくるものなのではないか、と思う節があるからです。中学の時に物理で勉強した太陽光の様に「光源(はじまりの場所)が遠すぎて、ほぼ平行」と仮定しておくことができればいいのですが、それはなかなかに難しく、「えいやっ」で決めてしまうのは、それでは少し乱暴すぎるような気がします。もしかしたら、そこには社会学の前提知識が問われるのかもしれませんが、それを言ってしまうともうきりがないので、次に進みます。そのとき次に浮かんだのはこのキーワードでした。

3.「進化」について

序章では【経済システム】という所の例で、「所有/非所有」という対象から、経済が貨幣というメディアがある事によって「支払い / 非支払い」というコードによって補完されるようになった。という事が書いてありました。これはまさに、進化の過程というようにも思えました。先のwikipdediaにも進化の事が書いてありました。そう考えると、長いスパンで見れば、ほぼ平行と見ていいのかもしれません。ただ、もしそれが進化だとするとこれがまた悩ましいですね。進化は、本来よりも一気に変わっているように見えてしまうと思うのです。進化を区切ってしまう事こそが、変化の境目になってしまう。これでは、何か大切なものを見過ごしてしまいそうな気がします。これが最後のキーワードにつながります。

4.フレームワークで大切な事

これもまた、自分の思う所のものでしかないのですが、フレームワークとはある「決まり事」を行うためのルールだと思っています。これは、プログラミングを前提とした話になってしまうのですが(井庭先生はルーツの一つにプログラミングがあるということなので)、実際のプログラミングでフレームワークを使う場合は、最小限とどめた方がよい事の方が多いとおもいます。(※)応用がなかなか利かなかったり、誤った方法を進めてしまうと、問題がわかりにくくなってしまう事が多いからです。フレームワークとは便利でありながら、実は慎重に扱わなければ行けない部分には使わない方がいい事の方が多かったりします。
逆に言えば、そのフレームワークが簡潔で、適用箇所が明確であるほど、応用すべき所が明確になったりもします。これが、先に述べたように「社会」といういまいち曖昧模糊とした(としているように思えるもの)に当てはめるとなると、思考実験としては面白いと思いますが、さて、それで分析されて世界はいかに。という所まで突き詰めると、なかなか扱いが難しそうな気がします。
これが次の章で語られている、「発見ツール」だと、ルーマン本人が言い切った所につながるという事なんだと思いますが、次の章はまだ途中までしか読んでいないので、詳しくは別の機会にしたいと思います。

以上が、だいたいの読んだ感想でした。



※少し分野は違いますが参考にしたものです。
 ぼくのかんがえたさいきょうのうぇぶあぷりけーしょんふれーむわーく - cho45 -YAPC Asia 2011

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