2016年3月28日月曜日

【書籍】ショッピングモールから考える

「ショッピングモールから考える」東浩紀 / 大山顕著 (幻冬舎新書)を読んだ。
ショッピングモールに関する対談で、話がいろいろな方向に手足を伸ばしながら、面白く展開していく本だった。東さんがあとがきで書いていた

「世間で論じるに値しない」と思われているものにこそ、新たの論点を見出し、語り始めること。それが哲学への原点であり、 本書はその点で、「放談」であるがゆえに、逆に極めて哲学的な本だと言える。

まさに「ショッピングモール」を通して哲学をしている本である。東さんの哲学についての考え方は、ここで知ったのだけど、これは自分の思っている「哲学」についての考え方と近いので、とても共感出来た。(自分のほうは浅知恵の言い訳みたいなものでもあるけれど。)


 @mr_elephant  
明日の献立を考えることも哲学の入り口だと思うわけです 
https://twitter.com/mr_elephant/status/495547434395639808 

自分の知っているショッピングモールといえば「ららぽーと横浜」ぐらいで、もうしばらくの間いっていない。おまけに目的といえば映画館限定だった(しかも一人で行っていた)ので、ここに書かれているショッピングモールの一部については実感できるものではない。それは、自分がショッピングモールの想定している対象から少し外れていたからなのかもしれない。
この文章の中で使われている言葉を元に考えれば、それもしっくり来る。

ひとくちに「開かれている」といっても、若者に対して開かれていることと、高齢者に対して開かれていることは一致しないし、子どもがいるお母さんに開かれていることと、健常者の男性に開かれていることもまた全然違ってくる。 (p21)
つまり、かつて行ったららぽーとが、かつての自分に「開かれて」いなかっただけのことであると。

 この「開かれている」という言葉はなかなか難しい。この文章の中では、いわゆるストリートの「開かれている」と、ショッピングモールの「開かれている」に対して、どちらが本当に「開放的」なのか、だれにとって「開放的」なのかという言葉で問いがたてられている。どちらが本当に、と書かれてはいるが、「開かれている」という同じ表現を使っているのには、やはり意味があるはずだ。

自分がスタッフとして参加している参加型の音楽祭でも「開かれている」ということは、ひとつの重要な要素だと思っている。ただ、それに対するイメージもやはり抽象的でぼんやりとしている。きっと、そこも突き詰めて考えれば、ヒントが出てくるような気がしている。

とまぁ、出だしからこの調子でとても興味深く、しかも考えるきっかけをたくさん与えてくれる内容だった。ショッピングモールの空間についてや、テーマパークと都市の構造、具体的な話を元にいろいろと話が展開し、まとまったり、広がったりしていく。本文中に散りばめられた「いいから俺の話を聞けよ!」という話や、「ぜんぜん関係ないんだけどさあ」という話の中に、示唆に富んだ内容があってとても面白かった。それは書くときりがないし、おそらくまとめきれないと思う。

新書は割とさっさと読んでしまうものが多いけど、なかなかの重量感で久しぶりに満足した気がする。もう一度、ゆっくりとショッピングモールを回ってみてから読んでみたい。そんな本だった。