2012年6月3日日曜日

【書籍】空間の経験(イーフー・トゥアン)


自分が小学生時代を過ごした場所の、最寄りの駅で電車を降りると、もう無くなってしまったスーパーや喫茶店がさもまだあるかのような感覚になったりする。もう、その場所をだいぶ離れているのに、同じ場所で育った人に出会ったりすると、その街で昔、通りがけによく見かけた小さな文房具のお店の話題でもりあがったりする。



大学時代に一度読んだ、イーフートゥアンの「空観の経験」をもう一度読み直しました。
一度読んだといっても、以前読んだ時は途中まででした。ただ、途中までだったのは、退屈であったという訳ではなく、扱っている対象と、そこに対するアプローチの幅が広すぎて、とらえきることができなかったというのが実際の所です。

内容はとても印象的なもので、後々読んだ本を手に取る原点になったと言っても過言ではないと思います。今回は、あらためてもう一度、それも通しで読んでみようと思って、再度この本を手に取りました。全体を読み返してみても、未だとらえきることができず、あと何度か読むだろうというように思いました。

実際、本著文庫版の解説にもこのように書いてあります。

なお、本著は概説的理論書であるということもあって、取りつきにくい面がある。 
空間の経験 p424(文庫版解説 / 小松和彦)

他の書籍や、様々な人の著書を読み解きつつ、時にこの書籍に立ち返ってまとめてみる、というのも良いのかもしれません。というわけで、こちらの感想文は個人的に捉え切れなかった部分を大幅に省いた内容になっているので全体の書評というわけではありません。

さて、本著には「space and place」という原題がついており、その題の通り「空間」と「場所」との関係性について扱った内容になっています。そして、その中身を三つのテーマを絡めながら話を進めていっています。 生物学的な諸事情、空間と場所の関係、そして経験と知識に関係すること、この三つに対して心理学や文化人類学、また文学的な表現も含めつつその概説を示していく内容になっています。

私自身が大学生当時読んでとても印象に残っていた部分は、最初に揚げられている生物学的諸事情について書かれていた部分、主に「経験のパースペクティブ」と「場所・空間・子供」という小題がつけられた部分でした。
人間の知覚(視覚、聴覚、嗅覚、触覚など)が人間の空間、場所についての経験にどのように作用をしているのか。また、その感覚をどのような過程で獲得をしていくのかというのが、子供の成長などになぞらえて説明されていました。内容的には短い部分ではありますが、私たちがこの空間の経験をどのように獲得していくかという所に、様々な知覚が重なり合ってくるという事を、すっと頭の中に入れてくれたという意味で、自分にとってとても新鮮な内容でした。

時間と空間に関する部分では多くのページが割かれて解説がなされていました。この部分に関しては、未だ把握しきれない部分であり、他の人の書いた考察や、イーフートゥアンの別の著書を読んだ後、改めて読んでみたいと思った部分です。
また、「空間」と「場所」の対比において「自由」と「安全」という区分でわけて全体的な解説を行っています。ただ、ここはかなり感覚的な、感情的な表現が含まれているような気がしたので、ここの部分に個人的には「開いた」と「閉じた」という表現にある程度言葉の印象をとらえ直して読んでみた方が良いだろうという印象を持ちました。日本語版へ向けての解説にもそのように説明をされています。

同時に、無味乾燥な環境を生んでしまったspace主義は今日でも終焉したとは言い難いが、”place”だけを唱えると、近代都市計画が陥ったのとは対照的な行き詰まりが待っていることも今日の我々は知っているのだ。 
空間の経験 p410 (解説文/オーギュスタン・ベルク)

と、本書の解説ばかりを引用しても仕方が無いので、最後に自分の仕事とある部分で結びつく可能性のある、と思った部分に関しての引用を残しておこうと思います。

道具と機械は、場所と広がりについての人間の感覚を大きく拡大する働きをする。人が両腕を広げて測定できる空間は、槍や矢が届く距離で測定される空間に比べれば小さい世界であるが、身体は、これら両方の長さを感じることができる。 
(中略)...この事について、フランスの作家で飛行機の操縦士でもあったアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリは次のように述べている。 
-- 一見したところでは、自然の大きな問題から人間を隔てる道具のように見えるこの機械は、実際は、もっと深く自然の問題に人間を関わらせているのである。農夫にとってそうであるように、操縦士にとっても曙光と薄暮は重大な事がらになる。操縦士の本質的な問題は、山、海、風によってもたらされる。狂暴な大空という大きな裁きの庭に立った一人で引きずり出された操縦士は、運んでいる郵便物を弁護し、山、海、風という神々と対等の立場に立って弁論するのである。 
空間の経験 p.99

空間の経験 著者:イーフートゥアン 訳者:山本浩 筑摩書房