2011年7月17日日曜日

【書籍】知覚の中の行為


「知覚の中の行為 / Action In Perception」(アルヴェ・ノア/門脇俊介+石原孝二監訳 飯島裕治+池田喬+吉田恵吾+文景楠訳)を読み終わりました。近所の書店をぶらついていて何となく手に取って買った本でしたが、なかなか読み応えのある本で、かなりとぎれとぎれで5ヶ月間かけてじっくり読みました。

最近は、マイケル・サンデル教授の『これからの「正義の話」をしよう』のような、「正義」や「自由」に関する哲学がはやりのようですが、個人的には存在論や、人間のこころに関する哲学(いわゆるコミュニケーション系の心理学ではなく、人間や動物の心の形成に関する話)に関心があるので、非常に興味深い文章でした。
この本で伝えられている内容は1ページ目に明示されていて、本全体を通して以下の主張が丁寧に説明されていました。
「この本の主要な着想は、知覚と行為の仕方であるということにある」p1

「知覚経験は、私たちが身体的技能を所有している事のおかげで内容を獲得する事ができるのである。私たちが何かを近くするかは私たちが何を行うか(あるいは、どういう技能知をもっているか)によって想定される。私たちが何をできるかによって規定されている」 p1 - p2

ネットで検索をかけると、否定的な考察(http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2009/04/report-the-cuny-cognitive-scie/)もあるみたいで、一つの論点として認知論や、存在論的哲学において注目すべき内容の一つなのではないかという事を想像しています。ただ、自分自身は哲学や認知系に関しては専門ではないので、この内容の妥当性に関して議論は専門家にお任せする事にして、この文章から読み取れる内容に関して、純粋に自分が気になったところや思ったところの感想を書こうと思います。

この著書では、知覚と行為は切り離す事のできない相互的な関係性であり、人間の知覚というものは感覚器の刺激として独立しているものであるという考えを退けて、その刺激自体を不完全でかつそれ単体では意味を持たないものとして説明されています。
人間の心の動きからは、視覚的な知覚を得る場合でも、聴覚的な知覚を得る場合でも、必ず行動可能性に結びつけて語る事ができる。つまり、視覚的な表現、聴覚的な表現、などさまざまな表現の中で人間の行為に直接結びつける表現が、人間のこころの変化に大きく関わるということが考えられるでしょう。これはFlashとかを作れる人であれば、簡単に実験をする事ができると思うので、やってみると面白いと思いました。もちろん自分の体験としても、実感しやすいく楽しいとおもいます。

また、こういった立場は、人間が人間の知覚的機能を損なわず、いかに環境に順応した生活をおくることができるか、またそうするためにどのような道具を生み出すかに対する、一つの指標になるのではないかと思いました。僕が、マイクロソフトの描いた2019年の構想(http://youtu.be/RWxqSEMXWuw)にとても共感を覚えるのも、この知覚と行為における関係性がわかりやすい形で技術的な世界へと投影されているからであるとおもっています。

「動物が初めて「心」というものをもったのは、環境からの刺激が自分の身体に与えている影響に関して、行為に基づいた表象を蓄積する(そしておそらくは、想起し、加工する)ことが初めてできるようになったときのことだ」 - p376 (Humphery 1992,42) ハンフリーの研究からの引用


人間の行動が「こころ」の形成に大きく関わりを持っているのならば、人間が集まりコミュニケーションをとる「社会」を作るのも、人間の暮らす「環境」を作るのも、人間の行動ということになります。表現は大げさになりましたが、人間の行動はそこまでマクロなものでもメタなことでもないと思っています。大切なのは、とても小さな人間の所作だと思うのです。

まぁ、こうやってあれこれ語るのは簡単な事ですが、実際にやろうとするとなかなか難しいものです。実践でできているかどうかと事を棚に上げたとしても、自分が何を勉強したらいいか、何をしていきたいかを決めるのにはとてもに役に立っていると思います。すくなくとも今、こういった視点に立つと、とても面白い時代だと思うのです。

最後に、監訳者のあとがきにも書いてある通り、古典的で有名なものから最近の注目すべき研究に至るまで、知覚に関する経験的研究を参照しながら、考察を進めている文章でした。所々専門的な語彙や、分野に特化した専門家の引用が利用されて入るものの、全体を通して非常に明確でわかりやすい表現が利用されている翻訳だと思うのでとても読みやすいです。
前提知識として、ギブソンの話とかデカルトとかそこら編に関心(僕も深くは知らない)を持っていると楽しめると思います。あと、ガンダムとかのように人間宇宙行ったら知覚のしかたがかわってニュータイプ的な新しい知覚が生まれるのではないか、とかが妄想ができて楽しいです。

2010年10月12日火曜日

【イベント】ヤッチャバフォーラム


今日は墨田区の区役所出開催されていた「やっちゃ場フォーラム」と言うものに参加してきました。詳しくはこちら
今回開催するヤッチャバフォーラムのテーマは、「すみだらしい未来を育む」 


と言う事なんだそうですが、全く墨田に関わりのない僕が何故このフォーラムに参加してみたかと言うと、いくつか理由があります
  • ゲストが魅力的だった
  • 内容が興味のある内容だった。(まちづくり/デザイン)
  • 下町に住んでみたい。参考にしたい
とまぁ、そんな感じです。最近、スカイツリーのおかげかどうかはしりませんが、墨田周辺がなんだか熱い感じになっているようなので、ちょっと覗き見してみようと言う魂胆でした。墨田関係なくても来ていいですよ。とツイッターでお返事をいただいたのも一つのきっかけになっています。ちなみに、最初に会場で話したお二方も墨田とは関係ない人でした。




さて、肝心の内容ですが、一つ一つ書いていく訳にも行かないので、メモを公開。(めんどうくさがり)
 
はい、わけわかりませんよね。いくつか、印象に残った部分をかいつまんで書いていきたいと思います。全体の大きなテーマは「つながる」と言う事でした。ありがちと言えばありがちですが、それだけ大切なキーワードと言う事。重要なのはその中身ですね。話の中で印象に残ったキーワードは。


  • 家でご飯を食べるのとはちがう、外食である事の役割ってなんだろう。と言う事を考えた結果が、自分が発信者になるきっかけになった(佐藤勝彦氏 押上 よしかつ)
  • まちと人がコミュニケーションをする。デザインはよりよいコミュニケーションの為にある。
    (紫牟田伸子 氏 日本デザインセンター)
  • 大きなうねりは、地道にやっていかないと広告みたいになってしまって、なんだか気持ちが悪い。
    (紫牟田伸子 氏 日本デザインセンター)


と言った感じです。だいぶ内容的にはまとめてあったり、はしょってたりするので、(また、話の流れがあったり、自分の記憶が曖昧だったりするせいで)不正確な気もするのですが、正誤に関してはUSTREAMにアーカイブが残っているみたいなので、そちらで確認してみてください。(こちら

話の流れの中で受けた印象は、それぞれの立場によってその話題に対する姿勢が全くちがうと言う事でした。ココに能動的に来ている人たちはかなり積極的な人たちで、【発信者】と【受信者】の両方の立場を兼ね備えた人たち、もしくはその意気込みを持っている印象を受けました。まちに住む、待ちを訪れる多くの人は【受信者】であるのみで非積極的であったりします。またある者は【発信者】のみであったり(そこで、何かを売りにきていたり)して、まちの中でのコミュニケーションに非積極的だったりします(都会になるほど顕著)。それぞれの立場でどうコミュニケーションを生み出していくかが、そこ人たちの間にあるギャップをどう埋めていくかが、課題になっていくのかなと思いました。

とまぁ、いろいろと考えてみましたがまとまってません。とりあえず紹介されていた『Civic Pride』という本を購入したので、それを読んで、もう一度考えたいと思います。

どうでもいいですが、フォーラムの中で不意に発表する機会があり(知らなかった)、途中たぶんUSTに出てくると思いますが、完全に、緊張して噛んでいてとても恥ずかしいので、ふわっとスルーしてください。ゲストの方のお名前も噛んでしまいました。この場を借りてお詫びを申し上げます。

2010年4月25日日曜日

桜ダイアリー

最近毎日同じテーマで、写真を撮ることを続けています。
今のところこちらにアーカイブしてあります。
記録すると言う事を中心において、ここから学んだ事を後々記述します。