2014年12月17日水曜日

【考察】いいものをつくるということ

プログラミングをしたりデザインをしたりイベントの企画をしたり、何かものをつくるのには、「いいもの」をつくりたいという思いがついて回る。きっと誰もがそうだとしても、それぞれの思う「いいもの」はそれぞれ違っている。きっとじぶんの思う「いいもの」と離れていけばいくほど、ものをつくる作業というのはつらく、そしてつまらないものになってしまう気がする。

もちろん人それぞれにちがう「いいもの」があるし、一人だけでものをつくるというわけでもないから、何もかも思い通りにいくわけではない。もしかしたら、そういう「いいもの」の違いの中で、あたらしい「いいもの」に対する想いがじぶんの中に芽生えてくるかもしれない。ただ、じぶんの思う「いいもの」をきちんと語ることができないと、納得のいくようなものをつくるという作業は決して生まれてこないとも思う。

いろいろと日常生活を送る中で、いろいろと人やものや出来事との関わりが生まれていく中で、じぶんにとって「いいもの」は、「くらしを豊かにするもの」だと思うようになった。「いいもの」よりは少し具体的だけれども「くらしを豊かにするもの」というのも、まだまだ漠然とした言葉だ。

「くらし」とはなんなのか。「豊か」とはどういうことなのか。これから少しずつこの二つの観点に絞って、戦陣の力も借りつつ、いろいろと具体的な言葉や体験を通じて語れるようになっていきたい。


2013年7月9日火曜日

【書籍】リアル・アノニマスデザイン: ネットワーク時代の建築・デザイン・メディア


最近、生活をする事にはまっている。
この言葉は、最近読んで気になったこちらのブログの記事からお借りした言葉ですが、一人暮らしを始めてから一年間「生活をする」こととはどういう事か、という事を頭の片隅に置きながら暮らしてきました。毎日三食料理をし、掃除、洗濯をする。勉強時間を作ったり、地元の道場に通って合気道を習ったり、体と心の健康に気をかけつつ、日々の暮らしをするのに必要な事はどんなこと、どんなものかを見つめ直そうとしてきました。


 ひとえに「生活をする」といっても様々な形があると思いますし、当然ながら”27歳の社会人男性が毎日三食料理をすること”は一般的なことではないと思います。外食は便利ですし、外で食べたくなったときは食べたりもします。おいしいものを手軽に食べられるというのはとてもすばらしいことで、それを利用することがいいことか、悪いことかというのは議論の余地もないでしょう。


 それでもあえて、自分の手で生活をするという選択をするのは、「節約したい」というよくある理由も含めて、あえて便利なものを必要最低限に抑えて「生活をする」ことによって、
“「生活する」ということがどういう事なのか”
というのを改めて見直したいという所にあると思っています。


 さて、日々料理をする中で改めて実感するのは、それがとても創造的なことだ、ということです。料理をすること自体、とても創造的な作業です。それが、“日々”になることで、その創造性がぐっとあがるような気がしています。

・今日、肉じゃがを食べたいと思ったから、肉じゃがを作る
・今、冷蔵庫にあるもので何かおいしいものを
・今日はちょっと頑張って特別な料理を作りたい
・風邪を引いてしまったので胃もたれしないものを手軽に

即興的な再現力であったり、リソースから逆算的に考えたりする。自分の感性や想像力、状況にあわせて手を動かすことでモノを生み出していくことができます。そして、自分自身を含めて、評価をしてくれる人が必ずいます。評価がある事によって、生み出すものが日々磨かれたりするのです。

それらを支えてくれるのは、材料であったり調理器具であったり、食器であったりします。そして、それこそが、私の感じている「アノニマスデザイン」でもあります。

 アノニマスデザインはデザイナーの柳宗理の提唱したものです。アノニマス、というのは匿名性という意味があるのですが、今回読んだ『リアル・アノニマスデザイン: ネットワーク時代の建築・デザイン・メディア』では、このアノニマスを巡って様々なデザイナーや建築家などが感じたことを書いていました。そして、それを通じて私たちの暮らす“社会”を見つめ直そうという試みがされていると感じました。

 私の感じているアノニマスデザインは、料理や掃除などの生活を支えるていると言ったような、モノの先にあるものが創造的にデザインされているものだと思っています。そしてそれを支えているのはモノの“用”に支えられた形や姿だと思っています。
『リアル・アノニマスデザイン: ネットワーク時代の建築・デザイン・メディア』の中では、織咲誠さんの ”関係性をつなぎ直す、統合の仕事” や、西村浩さんの ”土木と建築の間” に近いものではないかと思います。

 さて、この書籍では、作家性と非作家性に焦点を当てて、モノのデザイン自体の匿名性に焦点を当てた「アノニマスデザイン」があれば、様々な作家の知識や技術の集積としてつくられたものとしての「アノニマスデザイン」など様々なものがありました。すでにデザイナーや建築家として活躍し作家性を存分に発揮している方々が、どうやって「アノニマスデザイン」をとらえていくか、という視点を出発点にしているように感じました。

 強い個性のある文章の中から、「アノニマスデザイン」を考察するということ、これはある意味では矛盾をはらんでいるような気もします。そう感じたのは、この書籍を通して読んで「アノニマスなデザイン」として書かれた文章であると感じたものが無かったからです。それを意識してのことであるのか、あとがきで山崎泰寛さんの書かれている文章の中で、こう語っています。
本書が、松川昌平さんが言うポリオニマスなデザインの姿を示せていたとしたらとても嬉しいし、だとすれば著者の皆さんの力に他ならない。 p253
もしかしたら、このポリオニマスなデザインと「アノニマスデザイン」の関係こそのが本当の所のこの書籍の言いたい所だったではないかと思っています。私たちの暮らしているこの社会は、たくさんの人々の個々の生活によってつくられたポリオニマスなデザインに支えられています。そして、私の感じた「アノニマスデザイン」もまた、このポリオニマスなデザインの中で、おいしいであったり、使いやすいであったりする中で変化し、だんだんとその作家性が薄れていって、育まれた結果なのかもしれません。そしてあえてそれを再発見する事こそが「アノニマスデザイン」として提唱されたもののような気がします。

ポリオニマスな重なりによって生み出された「アノニマスデザイン」は東浩樹さんによると
それってとっても工学的なことで、そこまで行くともう「考えても意味のない」。 p243
という事だそうです。でも、何となくではありますが、それを土台にしたもっと先のものの中に、遥かに創造的な世界が広がっているような気がするのです。

※ポリオニマス
onymous(顕名性)に対して、anonymous(匿名性) 、polyonymous(多名性)
詳しくは『リアル・アノニマスデザイン: ネットワーク時代の建築・デザイン・メディア』 p195 ポリオニマス・デザイン(松川昌平)を参照

2013年1月21日月曜日

【雑記】感想文の書き方。


 一冊読み終わったので感想文を書こうと思ったのですが、どうせなら感想文の書き方について、どうしたら伝わるのかを考えて書いていった方がより書きたい文章がかけるようになるのではないかと思ったので、考えたことを書き出してみることにした。こう書けばたくさんの人に読んでもらえるよとか、そういうんじゃないです。たくさんのアクセス数を稼ぐために読んでもらうのではなくて、感想文をじっくり読んでくれる人に向けて書きたい。

 文章の書き方には人それぞれ好みが出ると思うし、読んだ本によっても書き方を変えたいと思うことはたくさんあると思うので、自分自身もあくまで参考、もしくは書く時に迷いが起こらないように。あと、感想文を書くことで、どうやって本を読むかという視点も得られるような気がした。



書き出し。


書き出しは重要。書き出しの内容次第で感想文を読んでもらえるかどうかが決まる。批評を行うのではなく、あくまで一読者としての視点を忘れず謙虚に感想を述べること。読書感想文の最終的な目的は、本を読んでもらえること、本を読んでもらうための視点を与えてあげること。
  • 興味を持たせるような文章を書くこと。
  • わかりやすく、直感的な文章を書くこと。


素直に感じたことを書く。


書籍を読んだ上で、自分が感じたことを率直に書くこと。難しかったことを、難しかったと書くことは、自分がどういうスタンスで本を読んでいたのか、ということが明確に伝わるようになる。難しかった本はだいたい読むのに時間がかかったりする。
  • 難しかった場合は、難しかったと書くこと。
  • 前に読んだ本に似ていた場合も書いておくこと。
  • 読むのに時間がかかった場合は、そのかかった時間とかも書くこと。


気になった部分を引用する。


気になる文章というのは、その書籍の中でも特に魅力的だと思わせるような文章である。多くの著者はきっとなによりも自分が一番言いたいことを、一番魅力的に見せたいと思う。気になった文章、重要だと思われる文章は、自分がその文章を書いたとしたら魅力的に見せたい部分ということはできないだろうか。
  • 全体の文章の中で、特に気になった文章。重要な点だと思った文章について、引用を行いつつ言及する。


キーワードをしっかりと理解する。


キーワードを理解するということは、文章を理解することにつながる。というのは、どうしてもなかなか理解できない文章が出てきた時、だいたいの場合その中のキーワード意味が、自分の中でしっかりとしていなかったりする場合が多いと思ったからだ。なので文章中のキーワードはとても重要だと最近思う。
  • このキーワードを理解していないと、全体の文章が把握できないというようなキーワードをしっかりと抑えること。
  • そのキーワードについて、一般的にどういう理解があるのか、他の本でどのように使われているのを知っているかを把握すること。


自分の考えを書く。


自分の考えを書かなければ感想文を書く意味が無い。あくまで読むのは他人だということを意識すること。Anonymouseな文章であることを極力心がけつつ、自分の感情の変化、思考の変化をしっかりと書くことが大切。
  • 自分の経験や素直に感じたことについて、文章をふまえた上での考察を行うこと。
  • しっかりと考察を行うこと、自分の中での結論をはっきりさせること。
  • 次に必要な知識、前提となる知識がある場合は解説を行うこと。


他人に紹介する文を書く。


せっかく感想文を書くのだから、その文章を読んでもらいたい。そして、感想を聞かせてもらったり、そのことについて議論や談話ができればなお意義深い。なので、あくまで読むのが楽しくなるように紹介をする。
  • 他人に興味を持たせるように文章を書くこと。
  • 自分の読書経験をふまえた上で、読みやすさ、読みにくさをはっきりと書くこと。
  • 前提となる知識や、書籍がある場合、他におすすめの書籍がある場合は紹介を行うこと。


最後に。


一番大切ことなことは、書きたいことを書くこと。

2012年11月27日火曜日

【書籍】ワークショップ 人間生活工学(第一巻)

たくさんの人に、自分のつくった物を使って欲しいと考えたとき、まずはたくさんの人に使ってみたいと思ってもらうことが大切です。それは、広告を通じてたくさんの人に知ってもらうということでも実現できますし、それを触ってみたい、使ってみたいという魅力的に感じるようなものをつくることでも実現できます。

しかし、それがどんなに使ってみたいと思えるものでも、もし一度しか使われないというのなら、それは本当にたくさんの人に使ってもらえる”いいもの”と言えるのでしょうか。一度使って終ってしまうようなものではもったいないでしょう。本質的にたくさんの人が使い続けていたいと感じるものこそが、ある目的のためには欠くことのできないものこそが、きっと本当に”いいもの”と言えるのではないかと思います。そして、その積み重ねこそが、その”いいもの”をさらにたくさんの人に使ってもらえる結果を生んでいくのではないかと思っています。

社団法人 人間生活工学研究センター編の「ワークショップ 人間生活工学」
は、そんなよりいいモノづくりのために編纂された本だそうです。まだ第一巻の”人にやさしいものづくりのための方法論”しか読んでいないのですが、この一冊でもとても有用で内容のぎっしり詰まった良い本だと思いました。

ユーザビリティや最近よく耳にするUXという言葉でかたられているような体験のデザインに関する話はもちろんのこと、人にやさしいものづくりのためにどのようなプロセスを踏んだら良いのか、それに対してどのような組織づくりを考えたら良いのかということも書かれていました。

このような本の多くは、その方法論を自分の環境にまるっきり当てはめてしまうということによって、とても間違えが起こりやすいものではあります。ただ、実践的な有用性を目的に書かれている文章でもあるので、そういった面にも気を使われているのが伝わってきたのがとても好印象でした。

ここで、定義されている人にやさしいものづくりとは、

人:stake  holderは誰か? 何をするか、したいのか?stake holder とは, ユーザはもとより, 購買者, 販売や維持管理, 廃棄に関わる人など, 当該製品に関わりをもつすべての人のことである.
やさしい:人間親和性・生活親和性の具体的品質特性は何か?
もの:ユーザ(stake holder)の広がりからみた製品の性格はどのようなものか?
つくり:どのような開発プロセスに(例:人間中心設計過程など)に, どの程度, 厳密に従ったものか?

(p188 一部略)



と書かれています。この定義に対して、どのような考え方があるのか、どのような調査をして分析をしていくか、どのような基準を参考にすることができるのか、どのように実践をおこなっていくのか、ということが丁寧に書かれていました。

生活の研究、製品の美しさ、開発プロセス、安全性、ユーザビリティ、ユニバーサルデザインなど、それらをどのように実践に移していけばいいのかということが、これまで研究され、実践されて蓄積されてきた知識をもとにして丁寧に書かれていました。

ISOで定義されている規格、法律で定められている安全性など、企業の組織やコストなどをふまえた上で書かれているので、実践的なものづくりのをしているひとにとっても、研究としてものづくりを学んでいる人にとっても、とてもに参考になる本ではないかと思います。

2012年9月17日月曜日

【書籍】生物から見た世界(ユクスキュル / クリサート)

鳥や虫の中には人間には見る事のできない紫外線を見る事ができるものがいます。ヘビには人間に見る事のできない赤外線をを知覚する事ができるものがいます。構造的に見れない世界を人間が見る事ができるようになれば、きっと世界は変わるのではないか、と言っていた友人との会話から、ユクスキュルの「生物から見た世界」(日高敏隆・羽田節子訳)を勧められたので、読んでみました。


 この書籍の原題は
「Streifzüge durch die Umwelten von Tieren und Menschen : Ein Bilderbuch unsichtbarer Welten」
で、英語への翻訳では
「A stroll through the worlds of animals and men: A picture book of invisible worlds. 」
と訳されているようです。英語版は原題のほぼ直訳で、これをさらに直訳すると、
「人と動物の世界の間を散策する -目に見えない世界の絵本-」
といった感じになるでしょう。つけらている邦題は若干固いように思えますが、それに関しては訳者あとがきに説明書きがありました。

内容は、邦題、原題の意図を取り組んだ所で言うと、学術的な姿勢をとりつつも、わかりやすく、取っ付きやすく説明するように書かれているものでした。 先程述べたように、人間と違う知覚器官をもった動物。その動物から見た世界はいったいどんな世界になっているのか、そしてそれを人間から見た世界と同様に扱ってみていいものか。そういった疑問からこの書籍は出発しています。
なぜなら、主体が知覚するものはすべてその知覚世界(Merkwelt)になり、作用するものはすべてその作用世界(Wirkwelt)になるからである。知覚世界と作用世界が連れ立って環世界(Umwelt)という一つの完結した全体を作り上げているのだ。 - p7
われわれに関係があるのは二つの客体の間の力交換ではない。問題は活きている主体とその客体との間の関係であり、この関係はまったく異なるレベルで、つまり、主体の近く記号と客体の刺激との間でおこるということである。 - p21
二つの客体と、主体の関係性によって作り上げられている環世界という全体を考える。この世界観は、他の分野にもあてはまるような所があるのではないかと思いました。
先日読んだエドワード レルフの「場所の現象学 -没場所性を越えて」における場所性、没場所性の関係性、しっかりと理解をしている訳ではないですが、ニコラスルーマンのコミュニケーションの連鎖に関するその主体、客体とその連鎖の結果の関係。このように様々な分野で、主体的な世界と客観的な世界、そしてそれを総合した世界について語られているような気がします。

その世界観を、同じ世界にいながらも、全く別の知覚器官をもった様々な動物や人間を比較することによって、明らかにしていっています。動物という、明らかに機能の異なるものを用いている事によって、その関係性が非常にわかりやすく説明されているような気がしました。 

本書は、とても短い内容になっているので、具体的な例に関しては特に言及せずに、同時に読んでおきたい本を、自分の読んだ本の中から上げてみたいと思います。 

「ソロモンの指環―動物行動学入門 」コンラート・ローレンツ
「生態学的視覚論」J.J.ギブソン
「空間の経験」イーフートゥアン

本著「生物から見た世界」は、動物と人間の見えている世界、という所にとどまらず、主体と客体というより高次なテーマについてとても示唆に富んでいる内容を、入りやすい形で提供してくれる書籍になっていると思います。動物や生態学が好きな人だけでなく、様々な人におすすめしたい本だと思います。

2012年9月8日土曜日

【書籍】場所の現象学 エドワード・レルフ

温泉地や観光地などは一つ道路を挟めば、何の特別なところもないような民家が建ち並ぶ普通の風景だったりします。でも、多くの人はそこには立ち入らないで、ガイドブックに決められたような道をあるくことが多いでしょう。

 以前、大学の授業の関係(ゼミの合宿)で、北海道の函館で地元の方にお話をお聞きする機会がありました。函館の市電が走っているあたりは、観光地として整備されていると事で、実はとても寂れていて、本当に人々が暮らし、にぎわっている所は山一つ挟んだ向こう側だと言う事だそうです。すでに5年以上も経っていて、ほんのお酒を飲みながらほんの少し話した程度だったので、具体的な内容に関しての記憶は曖昧ですが、その時聞いた話は、「旅行」において、「場所」を体験するということが、いったいどういうことなのかということを考える一つのきっかけになっています。

エドワード・レルフ(Edward Relph)の著「場所の現象学―没場所性を越えて」(筑摩書房)を読みました。この本は原題は「Place and Placelessness」で、訳書における小題の部分が全体を通しての主張になっていました。イーフートゥアンの「空間と経験」よりは、より分析的で、主題をはっきりさせた内容になっていて、取っ付きやすいかもしれません。

前半部分では、「場所」とはいったいどのようなもののことで、どういう分類ができるのかというのの分析、分類方法のを示し、後半部分では、そのなかでも、或る人にとって意味を持つ場所であり、空間、時間、人の体験などに基づいて生み出されるような「場所性」に注目し、現実社会に存在する作為的で均一化した「没場所性」と比較しながら、どのような場所が望まれているか、どのような場所を作り上げていけば良いのか、ということの考察がされていました。
私たちは、多様かつ奥深い「場所」に文節された世界の中で生活し、活動し、自らの位置を見定めているけれども、そうした場所の成り立ちと私たちがそれらを経験する仕方については、乏しい理解しか持ち合わせていないようだ。一見これはパラドックスに思えるかもしれないがそうではない。なぜなら、知識というものはいつも明らかなものであったり、その価値に気づかれている必要はないからだ。- p.037 
本書の目的は、私たちの日常経験からなる生きられた世界についての地理学的現象であり「場所」を探求する事である。- p 038

さて、2章の「空間と場所」、3章の「場所の本質」では場所とはどういうものかについての話をしていました。いくつかの視点から切り口を見つけ、こちらの章では主に「場所」そのものとはどういうものかという事に焦点が当てられていました。その過程ので、人と場所とのかかわり合いの事を次第に明らかにしていきます。そして、その後の章ではその「かかわり合い」。いいかえれば「関係性」に焦点が当たり話が進められていきます。
場所は行動と意図の中心である、それは「我々がそこで自分の存在にとって意義深い出来事を体験する一つの焦点である」(Nirberg - Schulz 1971 p19)。
タイトルになっているので当然ではありますが、「場所性」と「没場所性」に焦点が当てられています。没場所性を説明する章では以下の引用がされています。
人類から多様性が消え失せた。世界のどこへ行っても同じような行動や思考や感じ方に出くわす。これは、諸国がお互いに影響し合い、よくまねし合うからだけではなく、各国の人々が身分制度や職業や家族に対する特有の考えや感じ方を無くしていって、みな一斉に同じような体質になってきたからだ。こうして、彼等は互いにまねしあわなくても、似た者同士になってきたのだ。
端的に多様性を求め差別化を図るというのは、あまりにも極端で、こういった感性のあり方についてはとてもセンシティブな問題だと思うのです。ただ彼が、ツアーによる均質化された旅行や、ディズニーランドのような作為的な閉鎖空間(これを偽物性と呼んでいる)というのを取り上げて、 均質化のみを求め続け失われた感性に対してある種の警鐘をならしているという点には、一部共感せずにはいられない部分がありました。
 かといって、そのような没場所性的なものが全くの害悪かと言われれば、そういうではなく、そういう存在があるからこそ、愛着をもつ事のできる本物の場所性というものが生まれるとも考えられるとのことでした。

「場所」に関してもそうですが、これは様々な事に言える事ではないかと思います。人とモノとの関係性、人と出来事との関係性、そして人と人との関係性、人をなにかとの「関係性」に何らかの焦点をあてて考える場合、この「本物性」と「偽物性」からなる、感性のあり方について問われているというような気がします。もちろんどちらが良い、悪いということではありませんが。


参考:ヤバ借(やば-しゃく)という考え方 ディズニーランドがいかようにつくられているのかが垣間見えるのでとても面白いです。没場所性の設計について思わせてくれるところがあります。

2012年8月27日月曜日

【展示】テマヒマ展


テマヒマ展へ行ってきました。とても美しい映像で紹介され、きちんと見栄えのするように置かれている美しい道具たち、きめ細かくつくられた特産品の数々。佐藤卓さんと、深澤直人さんの視点によって、作り上げられたとても美しい展示だったとおもいます。

静かで美しい音楽や、陽気で活きのいい音楽、それに合わせてつくられた映像が、ものに魂を込めている人たちの美しい姿を映し出しているようでした。

東北のものづくりには、合理性を追求してきた現代社会が忘れてしまいがちな「時間」の概念が、今もなお生き続けています。
-- 中略 --
東北の文化や精神を背景に生まれたものづくりから、今後のデザインに活かすべき知恵や工夫を探ります。
http://www.2121designsight.jp/program/temahima/


作り手の視点、というのを大切にしているのは、映像のモチーフを「手」で表現していた事からも伝わってきました。焦点を当てなければ見過ごしてしまうような作り手の存在、それを新たに発見するきっかけにもなるのではないかと思います。

ただ、個人的に残念だったのは、「使い手」の存在に関してのことでした。「用即美」。もともと使い手であったであろう、作り手の存在。用に即したもの作りというものには、むしろ今の作り手そのものではなくて、作り手に変わっていく使い手こそが求められるものなのではないかと思っています。プログラマー的に言えば、仕事のためにカスタマイズした、スプリクト達やディレクトリ構成みたいな感じですかね。

手で触って、使って、そして考える。そして少しずつ変えていく。ものづくりの可能性も大切ではありますが、むしろ「使う事」の可能性というのも無視できない大切な存在なのだと思うからです。「使う事」の感動からの距離は、たぶん展示品とお客さんの距離くらいにはあったのではないかなと、そんな気がしたのでした。このテーマだったらもっとこう、手に馴染むような感覚が欲しかったな、と思ったのでした。とはいえ、時間とかがかかるものだとは思うのでそれも難しいかとも。

なんか、文句ばかり書いているような感じではあるけど、展示はとても良かったです。不思議な静けさと、美しさがあった感じでした。あと、ブログがとても良さそうなので読みたいと思います。(http://www.2121designsight.jp/documents/exhibition/cat-2/